カルシュとホーランエンヤ

 

 カルシュには、何といっても祭りがとても珍しかった。これ程大がかりな祭は見たことがなかった。夢中でシャッターを切って撮影した。
概ね12年に一度、五穀豊穣を願ったホーランエンヤ祭が行われる。このときは1929(昭和4年)であった。地元でこの名で親しまれており、城山(じょうざん)稲荷神社のご神体が阿太加夜(あだかや)神社に3日かけて移る神幸祭である。
 古くから宮島の管絃祭、大阪天満の天神祭とならんで、日本三大船神事の一つで、松江市が誇る大祭である。

   
カルシュ撮影(1929年) 

 藩祖松平直政公が入国して10年目の1648年(慶安元年)は天候不順で不作が予想された。このとき、城山稲荷神社の御神霊を阿太加夜神社に運び、豊作を祈願したのが起源で、最初は十年ごとに行われた。その後、1808年(文化5年)の御神幸の折、暴風雨で座礁しかけた神輿船が馬潟(まかた)の漁師に助けられ、阿太加夜神社に無事送り届けられたのにならい、櫂伝馬(かいてんま)船が加わるようになった。豊作と民衆の幸福を祈願するこの船神事は、以来ほぼ卯年12年ごとに船渡御の神幸祭として行われたという。


 1997年(平成9年)5月23日~25日に、地域伝統芸能祭の中心イベントとして渡御祭(とぎょさい)、中日祭(ちゅうにちさい)、還御祭(かんぎょさい)が催された。市内五地区(五大地)から繰り出す鼻曳船を先頭に、清目(きよめ)船、櫂伝馬(かいてんま)船と呼ばれる踊り船、神楽(かぐら)船、神輿(しんよ)船、神能(かみのう)船、両神社の氏子船など約百隻が連なり、延々1㎞に及ぶ船行列が進行した。その様子は金色の宝珠を中心に色鮮やかな旗、幟をなびかせた豪華絢爛の時代絵巻になった。宍道湖、大橋川、中海を彩り、古来伝承の歌舞伎衣装の踊り子や、囃子(はやし)の子供、そして櫂漕ぎの若い衆などが〈ホーオオエンヤ、ホーランエーエ、ヨヤサノサ、エーララノランラ〉と唄い踊る。その舞台となるのが櫂伝馬船である。


 船は、本来松江城内堀の乙部灘の船着場から漕ぎ出していたが、堀川の水深が浅くなり、1958年(昭和33年)を最後に宍道湖岸からの船出に変わった。

 主役となる五隻の櫂伝馬船は約50名の乗船人数の装飾された豪華船で、もとは網船を改造して使用していたが、現在は新造しているという。

   
   
   
   

 これは10年毎に開催される「大祭」で、実は1929年にカルシュが自ら撮影しております。現在の様子とはだいぶことなり、カルシュにとっては目を見張る光景であったと思います。
 当時の貴重な写真をもとに、来る7月にはこの祭りの伝承のためにも、松江市内で特別写真展を開くことになりました。祭りの掛け声がホーランエンヤなので、通常そのように呼びます。添付をご覧ください。 カルシュの残した写真には、このように日本文化の伝承に重要なものが数多く含まれ、先年の「大山(だいせん)開山1300年」の写真展で使われた写真は、米子の人々に大きな感銘を与えました。

            山陰中央新報に掲載されました

            松江歴史博物館に展示されました