横浜国立大学工学部第四寮



               第2回 弘南寮OB会 総会

                                  時 : 平成21年06月27日(土)
                               所 : 金沢文庫 桂林菜館

   “弘南寮を卒業” 以来おしなべて半世紀、第1回総会以来年ぶりに, 懐かしの文庫に懐かしの顔が戻って    
   来ました。
   文庫駅から寮に至る通いなれた道、途中のラーメン屋、銭湯、飲み屋等々、界隈のあれこれは、今も心の中に   
   鮮やかに残っているだけに、この一帯の変貌の激しさと、心中心象との落差の大きさには戸惑うばかりです。    
   茫々はるか50年、今を昔になすすべもがな。
   文庫への道は、永遠の センチメンタル ジャーニー、久しぶりの文庫里帰りでした。


寮の界隈
     
  文庫駅のホームから 桂林菜館,
 泥亀町方面
   金沢文庫駅東口。 昔はここ
  から直接線路を横切っていた。
    国道から寮に曲る道。このどぶ川を渡って
   すぐ右折、左手に蒲団屋があった。
     
   スズラン通り入り口あたり。この突き当りが ドロガメ町。どぶ川がありその上に赤提灯が並んでいた。
   たしかこの辺が MonAmi のあたり、あの辺が銭湯のあったあたりと思っても、面影さらに夢のまた夢。

   
            寮の跡地はキレイに整地されて、今は市民の憩いの公園。
このあたりが寮の建物、このあたりが食堂、このあたりがファイアーストームをやったところ等々、
おおまかな見当をつけてはみるが、昔の面影は探るに詮無し。 
せめて片隅にでも 横浜国立大学工学部第四寮跡地 の石碑でも欲しいところですね。
  
     
駅前から金沢文庫、称名寺 まで、道の片側が
青色舗装してあり、これを辿れば自動的に行ける。
 
       金沢文庫は北条実時により創設された鎌倉武家の書庫。
      現在は貴重な文物を納めた、中世歴史博物館として利用されている。
       
 
             称名寺入り口、                   参道と仁王門       太鼓橋から称名寺正面
   



  新入寮生観芸会、また寮祭には、2升入りアルマイトの大ヤカンで、合成2級の
  安酒を カラカラ沸かし、これをどんぶりで飲まされたものでした。
  酔って寝込んだ真夜中に、“起きれー” の号令一下叩き起こされ、称名寺まで
  駆け足をさせられたことを覚えています。
  当時は境内も手入れ不足の荒れ寺でしたが、その後改修が進み、きれいな
  寺になりました。文庫に行ったら是非足を伸ばしてみて下さい。

  寺の裏手にある 北条実時 の墓所まで行くつもりでしたが、当日は梅雨中とは
  思えない猛暑で、ここまでで全身汗ぐっしょり、次回に譲ることにしました。



元気なOBの面々


  卒業年度別 参加者紹介 
(左から 敬称略)
     
      22−機械 長田 恵、  22−造船 岡田 岩、
      22−建築 中川靖雄
     25−機械 吉川 正、  25−機械 赤塚昭三、 
   24−応化 中西和美

 
 (後列): 31−機械 田中 衛、 30−応化 池田忠治、 30−電化 
 古郡政一、 31−機械 坪内昌生  (前列) 31−応化 今里益親 
    32−経済 石橋松雄、  31−電工 小菅 勝
 
   33−電工 石川嗣郎、 33−電工 田中茂利、 
   33−機械 山本道夫、 33−建築松木 明
    34−電化 本多 進、 34−機械 山之内克彦、 34−機械 
    古市一雄、 34−機械 高本幹永、 34−電化 嵐 雅彦

















 
    35−電化 塩谷暢生、 35−建築 村上處直、 
    35−造船 伊勢本幸雄
    36−応化 冨久田 武、 36−電工 高石周志、36−機械 
    片山篤範、 36−機械 大石昌明、 36−電化 後藤忠俊
 
















 
    37−電工 松本良吉、 37−機械 小野博幸、
    37−造船 猪原暉雄、 37−応化 高橋千穐

     38−建築 岡部善憲、 38−電化 渡辺 博、 38−電工 
   稲田浩一、38−応化 深作三郎、 38−造船 久米範佳、 
   38−建築秋山正樹、38−機械 田中征夫
     
    40−建築 外池久雄、 40−機械 熊田正弘、40−電工 
    野村慎一、39−機械 山田耕治、 39−電化 上島淳一
        41−電工 宮田良平、   41−電工 内田洪三
 




  以上総勢 51名。
  卒業年度で見ると 22年から48年まで、26年の段差があり、一番
  若い加藤さんが 58歳とのことであったから、他は推して知るべし。
  それにしても諸先輩方の元気な事。
  セメントの台座のついた “谷津坂行き” バス標識や、“浦賀行き”の
  電車の行き先表示板を担いで来たりした悪がきもいましたね。  
  あの頃は皆貧しかったけれども、人生の中で最も華があった時でした。
  会えばそのまま昔にタイムスリップでき、楽しいものですね。
  次回もまた元気でお会いしたいものです。
  年おきではちょっと物足りないので、せめて年1回は開催してもらい
  たいと思いますが、如何でしょうか。
  48−電工 加藤文雄、 44−電工 宮坂栄一、 
  45−建築 小西恭一


盛会中継

     
              嵐さんの開会宣言             田中さんの式次第発表
            
 
              長田名誉会長の挨拶                  中川初代寮長の挨拶
       
        小菅さんの音頭で かんぱーい        遠路はるばる奈良の里から駆けつけた 小野さんの挨拶
   
                       いよっ 華の58歳! 若頭の加藤さんの中締め

会場風景 
(順不同)

          
  
                      
 
         

     
                  
    

寮歌斉唱

             
              弘南寮寮歌

                       作詞 : 国広理朗 (造船 24)
                       作曲 : 石井春男 (機械 22)



 1. 流るる雲に行く水に
   紅深き木群にも
   あゝ暮れやすき 若き日の   2. 鐘楼深く緑して
   宴の夢を偲ばずや           栄枯の夢や今しばし
   遊子わびしき影長し          源家ゆかりの鐘の音も
                           朝夕の訓にて
                           銀燭ゆらぐわが住家

 3. 夕べしじまに暮れゆけば
    鳴くや千鳥の影さむく
    荒磯に砕る波に聞け       4. 紫けむる曙の
    永久の真理とその声を          露もしとどの下草を
    ゆきて帰らぬ囁きを            踏みてしだきてさまよえば
                             心の雄琴澄みてなる
                            夢よしばしはまどかなれ
                            夢よ…  (以下 繰り返し)



     
             

 


スナップ集
 (順不同)

     
     
     
     
   


全員写真




                                                            (以上 文責/いのはら)