感無量!!!・・・弘南寮総会に初参加

・・・・・6泊7日のセンチメンタルジャニーの初日に・・・・・

                  荒木道郎(S37化工卒・札幌在住)


  10月12日の弘南寮総会に初参加させていただきました。一瞬のうちに56年以上前の若き日々に戻り、おじちゃん・おばちゃんこと飯沼ご夫妻を偲び、先輩・同輩・後輩諸兄にお会いして当時の話やその後のご活躍振りを伺うこともでき、たいへんうれしく、またありがたく思っている次第です。
  私は大学2年の春(1959年4月)に入寮し、卒業後は大学院に進学したのですが、実は奨学金借用までの半年間、食堂奥の小部屋に匿っていただき、本郷まで通っていました。今回、『この部屋に2年間、トータルでは寮に7年も住んでいた猛者もいた』と聞いて驚くと共に、飯沼夫妻や当時の寮長をはじめ寮生の人情味溢れる対応に改めて感謝の念でいっぱいです。
  国立研で主としてエネルギー関連の研究開発を行った後、北海道の民間企業で技術顧問として第二の人生を送り、今は札幌で年金生活を送っています。元来スポーツが苦手なため、ゴルフやスキーなどで地の利を生かすことなく過ごしていますが、札幌は芸術の都でもあり、合唱やカラオケならぬアマオケ(アマチュアオーケストラでヴァイオリン担当)、それに写真展クラブなどで市民の皆さんに遊んでいただいています。ただ、寮総会の時期が市民合唱祭や写真展の開催時期と重なることが多く、寮総会は長らく失礼せざるを得ませんでしたが、今回はラッキーなことに、当総会と故郷・広島での高校・中学の同期会が10月中旬に連続して開催されることがわかり、今秋の札幌での行事をすべてキャンセルした。その結果、航空機・新幹線・夜行高速バスなどを含む全行程5,000km余、寮総会と中高二つの同期会と共に両親墓参や親類縁者・旧友の見舞いなどを含む6泊7日のセンチメンタル―ジャーニーが実現しました。

総会で寮歌を歌う荒木さん(動画)少々時間を要しますがファイルを開いてご覧下さい。

  ここで広島でのエピソードを一つ紹介します。
  以下の小文は前述の卒業60年記念の高校同期会当日の朝、地元の北海道新聞に掲載された「半世紀もかかった再会の日」と題する小文を一部リライトしたものです。掲載に気付いた家人がスマホで撮影の上、会場のホテルに急送してくれ、当時演劇部のヒロインとして大活躍していた我がクラスのマドンナに依頼して壇上で読み上げてもらったというおまけ付きです。同期会にはめったに顔を見せないY君も今回は参加しており、喜びを分かち合った次第です。 これは入寮以前の青臭い昔話ではありますが、そのうちに在寮中の想い出話も書きたいと思っています。今回執筆の機会を与えてくださった深作兄に感謝します。

北海道新聞投書欄 2018.10.15掲載★
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半世紀もかかった再会の日   荒木道郎(札幌)

  今は昔、高校時代にO・ヘンリー著の短編「20年後」を読んだ。「ニューヨークで青春を共にした若者が往時の新天地だった西部の街で新しい人生を切り開こうと赴く際に相棒と交わした固い約束とその悲劇的後日譚「お尋ね者と警官との再会」が巧みに描写されていた。
  共感した級友・Y君と私はそれに倣い、ある約束を交わした。再会時期は20年後ではなく大学卒業直後の5年後の夏、新しい人生の方向を見据えての対話を期待したためであり、場所は馴染みのレストランならぬ共通の級友・T君の実家。ここは転居のおそれのない専業農家であり、いずれも前例の轍を踏まぬよう配慮したつもりだった。 実際には2人共に専門分野も生き方も大きく異なり、人生の荒波にも揉まれ続け生きるのに精一杯となってしまい、お互いに気に懸りながらもやがて音信不通に陥り、再会したのはなんと半世紀後、遠い故郷での高校同期会においてだった。若き日の面影を残す彼に思わず駆け寄ると、彼は「約束の日には会えなかったな」とポツリ。固い約束をしたはずだったのに私の完全失念だった。

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