弘南寮の跡地を訪ねて
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                                         深作三郎(応化38)

称名寺で運慶展が開催されていたので久振りに金沢文庫を訪れた。
  平成30年2月15日は暖かい日で,外に出るには最適な日よりであった。
横浜駅から京浜急行の快速特急に乗った。スピードがあり心地よい。
懐かしい弘明寺駅はあっという間に通りすぎた。途中金沢文庫駅の
 手前には谷津坂駅という小さな駅があったが、現在は能見台駅という
駅名に代わり立派な住宅街に変わっている。

  京浜急行金沢文庫駅に着いた

随分ときれいになっている。
広々としたコンコースが出来ている
 金沢文庫駅階段

大学に行く時よく駆け込んだものだが
現在はエスカレータがついている
 
   すずらん通り

50年前とそんなに変わっていない?
文庫でよくラーメンを食べたのでラーメンを食べようと思ったがチェーン店の「日高屋」のかんばんが目にはいり、ここでギョーザとタンメンをたべた。
 すずらん通り

懐かしいすずらん通りのかんばんが
今も架かっている。 寮祭の時、横断幕を
広げてねりあるいたものだ。
 
   

歓迎コンパで夜中にこの門をくぐったのを思い出した。
 仁王門

金剛力士がしっかり守っているようだ
  太鼓橋

称名寺は絵のスケッチポイントだが、朱色の太鼓橋のペンキが剥げていた
また塗りなおして美しい景色をつくりだしてほしいものだ。
 鐘楼

寮歌に出てくる鐘楼だ。
スケッチしたこともある。
 
   本堂

鎌倉幕府の要人であった北条実時が建立したものという。
長い歴史を思い出させてくれる

塗装をしていない木造建築なので長く保存するのは大変だろうと思った。
長く保存されて欲しい。
 運慶展

関係する寺院から運慶他関係する仏像を
集めて特別展が開かれた。
多数の仏像が楽しませてくれた。
 
   
寮の跡


寮のあった場所に足を運んだ。
今は横浜市の公園になっている。
子供達が元気に野球をやっていた。
奥に小高い山が見え、寮を思い出させて
くれる少ない証だ。
寮祭でファイアーストームをしたことや
寮を守り、一生懸命ご飯を作ってくれた
おじちゃん・おばちゃんを思い出した。

 和22年~昭和64年(平成元年)まで
半世紀近くに亘り、延べ427名の寮生が
生活した思うと感慨深い。
大した寮だったと思う。


跡地が建物でなく公園になっていて自由に
立ち入れるのがうれしかった。
弘南寮に改めて”ありがとう”と言いたい。


 思い出のアルバム
 入寮歓迎会
 寮祭と鋸山ハイキング
 相模女子短大と合ハイ
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