横浜国立大学工学部第四寮

弘南時報の出土

小菅 勝(31電工)

(題名の出土の土は土蔵より)


1.
 31年電工卒の小菅です。
 私は新潟県上越市の山間部の出身で、今も生家を相続して、現住所の横浜と往き来をしながら消光しています。
 豪雪地帯なので冬は敬遠ですが、年間70日位の田舎滞在となります。
 この夏その田舎の土蔵の中の整理を一人で試みました。かすかな期待も空しく、金目のお宝は全く見当たらず、粗大ごみと危険物と燃やすごみから成るガラクタばかりであることが判明しましたが、その中の一つの木箱から四寮の弘南時報が2冊現れました。
 一冊は第7回寮祭記念(昭和28年5月30日)…表紙含37頁、もう一冊は第10回寮祭記念(昭和31年6月2日)…表紙含58頁 です。
 第10回寮祭プログラムも一緒に現れました。
 私は昭和31年の卒業ですから、第10回寮祭の時は既に寮に居りませんでしたが、偶々新入社員研修で在京しており、OBとして寮祭に参加した際、貰ったプログラムと弘南時報が手元に残ったことを思い出しました。
 55~52年前に、寮生が手分けをしてガリ版を切り、ワラ半紙に印刷したものですから、変色も甚だしく、文字も不揃い、くせ字もあり、印刷もズレたりと、首をひねる箇所はあるものの、何とか判読出来るのが嬉しいところです。
 次の弘南寮会の総会の折にでも持参して、諸兄のご高覧に供そう、出来れば若干の復元・再生を試みた上で、などと思い、横浜へ持ち帰っておりました。


 本BBS上で西沢正光さんについて嵐さん、岡部さん、塩谷さんの追悼の投稿を拝見しました。
 私自身は西沢さんとは入れ替わりでしたから面識はありませんが、ふと気がついて、手元の弘南時報を調べたところ、入寮一年生の西沢さんの文が載せられているのを見つけました。寮祭のプログラムにもお名前があります。
 西沢さんの追悼のよすがともなればと思い、出土した弘南時報の表紙・目次・西沢さんの文・プログラムなどを時機を失さぬ様、画像の方で紹介することにします。
 なおOBとして参加した第10回寮祭の集合写真もありますので、その写真には私も西沢さんと一緒に写っていると思いますがお顔が分かりません。


 故人から「よしてよ。照れくさいよ」などと異議が出るかも知れませんが、聞こえぬをいいことに、お互いに 隠しようのない恥ずかしさを共有するからこそ、同じ釜の飯を食った仲間として親しみがあるのであり、弘南寮会の意義があるのである、とうそぶくのであります。

資料はこちらから  第7回寮祭記念、 第10回寮祭記念 (全ページスキャンして掲載しました)


弘南時報とは懐かしい文字ですね               嵐雅彦

2008年12月20日(土)

小菅さま  

 弘南時報の記事有難うございます。すっかり忘れていましたが、弘南時報が発行されていた事を、そして文庫での青春時代のあれこれを思い出させてくれました。有難うございます。
 お手元にある弘南時報の内容を是非HP上で閲覧できるようにしていただける様希望いたします。 名前などプライバシーの問題があるでしょうか? もしあるようでしたら、専攻科・学年とイニシアルにしたら問題ないように思いますが。
 それにしても50年以上の前の寮生時代の資料が土蔵に保管されているとは、さすがに謙信公生誕地の素封家はちがいますね。